PEN E-PM1

カメラ片手にお散歩。旅先であっても、積み上げた日常であっても、写真を撮るのが好きです。よろしくお願いします。

世界の境界線

紡ぎ出される景色は
青かった

明日が来なければと願った日もある

けれど、太陽の下では
来てくれてほっとした

今が積み重なった明日を
私は知ってる

きっとあなたも
知っているはず


深呼吸をして
心の言葉も一緒に吹き出した

空っぽになった心は
いつだって無限大

終わりない空のように
いくらでも広がっていく

風の音が聴こえたら

何かが変わるようなそんな気がしてる

明日になればわかるよ
なんて
そんな声にも耳を貸してみる

全てが変わらなくていい

ただ、大事なものをなくさないために

手の中から溢れ落ちぬよう
しっかりと握っていたい

それが出来るかな
私はわかるかな

全ては自分次第です

夜を抜けて

空が白む

追いかけた先に広がる色は

まるで白昼夢

 

置いてきた記憶

忘れかけていたもの

 

途切れ途切れに繋いだ糸

懐かしい声に

ふと振り返る

 

あの声が

あの日々が

今の時間を作っている

 

全ての言葉にありがとう

君にもらったエフェクター

あの頃の音
鳴り止まないノイズ
ハウリングの渦

そんな世界からは
遥か遠く
彼方の未来にいるみたい

思い出せないフレーズ
心の中のどこかで
今日も誰かを待ってるのかな

誰でもない私が
誰でもない君が

ただただ時空を駆け抜けていく

いつかの未来で
また会えたのなら

また会えるのなら

その日の為に今日も生きよう

笑え、果てしなく

努力をする、ということ。

今日の自分を、明日の自分は越えていく。

 

そんな言葉を自分も耳にしたことがあるし

口にしたことがある人も、たくさんいると思う。

 

私自身、生きている限り、成長を望んでいる(もしくは望まれている)のであれば、ある程度の努力が常に必要だと感じていて。

 

もちろん、ただ努力すればいいというわけではないとも思う。

子どもでもそうだけれど、大人になって仕事が絡んだ上での努力、ということであれば、なおさら結果が伴うことが必要とされる。

 

ただ、「努力」という点を唯一の拠り所にしてしまったら、きっとそこには近い未来に限界がくる。誰よりも、と考えた際の行き着く先はきっと、それこそ飲まず食わずでひたすらに没頭するしかなくなってくるだろう。

 

これでは、体も心も持たないし、本末転倒。

 

24時間という時間の制約は誰しもが平等なのだから。

そのくくりの中で上手く折り合いを付けて時間を見つけ出していけたらいいんだろうな。

 

けれど、そもそもの考え方を変えられたらどうだろう。

「自分は努力している」と思わないで、日々の積み重ねを当たり前のことだと思って気軽に構えられたら。

 

どうだろう。

肩の荷が下りるだろうし、同時に、周りを見渡す余裕も出てくると思う。

 

きっと人それぞれに抱えてることがあって、誰しもが心のどこかでもがいていたりする。

 

自分の意識とは、特に意識をしなければ、どうしても自分が中心になってくる。

それは、自分を守るための自分だけの世界。

 

でも、誰もが自分だけの現実世界を持っていて、誰しもが他人の努力を認め合えればいいのにな。

 

そのためには、まずは自分。

自分が自分の世界だけでなく、他人の世界にもっと目を向けなければ。

向けられているつもりでいたけれど、まだまだ足りなかった。

 

きちんと、当たり前の努力を続けられるように。

自分も他人も、全ての時間を認められるように。